〜知られざる日本人移民の過酷な歴史〜
9月16日は「アサイーの日」
楽しげな日ですが、
実はその背景には知られざる、
日本人とアサイーの過酷な歴史がありました。
少しまじめなお話なので、
日課のアサイーヨーグルト
(またはお好きな食べ方)を片手に、
興味がある方だけこの先を読んでください。
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|アサイーの世界的生産には
日本人の努力があった。
アサイーが日本で食べられるようになったのは、
ほんの20年ほど前ですが、
アサイーと日本人の歴史は
そのずっと前から始まっていました。
出典:ブラジル日本移民史料館
アサイーの原産国・ブラジルは、
世界で日系人が最も多くいる国です。
その背景には、
人生と命をかけた日本人移民たちの
苦しい歴史がありました。
|さかのぼること、100年ほど前。
開拓者として集められた
貧しい日本人農家43家族を乗せた船が
ブラジル・アマゾンのへき地
「トメアス」に到着しました。
出典:https://www.frutafruta.com/agroforestry/tomeacu.html
「ブラジルは、金のなる木がある楽園だ」
心躍らせ集まった彼らが目にしたのは、
そんな風に謳(うた)った広告とは
かけはなれた絶望的な光景でした。
彼らが降り立った当時のトメアスは、
水も安定して確保できないほどの
ジャングルの密林でした。
後に引けない状況の彼らは、
必死で開拓を進めましたが、
慣れない熱帯での農業は困難を極めました。
さらにはマラリアなどの風土病で
家族を失う移住者が相次ぎ、
いつしか、
日本人移民が送られたアマゾンは
「緑の地獄」と呼ばれるようになりました。
出典:https://www.frutafruta.com/agroforestry/tomeacu.html
多くの移住者は見切りをつけ帰国しましたが、
帰るあてのない貧しい移住者家族は、
その後40年余り、
厳しいジャングルの中で、
農業の改善や工夫を重ねました。
そして、ついに1970年中ごろ、
安定した生産を行える農業方法を
生み出したことで、
アサイーなどのアマゾン食材を
年間を通して供給できるようになりました。
この農法はその後、
森林再生につながるサスティナブルな農業として
世界中で注目されることになります。
新しい農法の成功に続いて、
1990年代ごろにはトメアスの日系農協が
アサイーの加工ラインを新設したことにより、
ブラジル国内をはじめ、
世界中へのアサイーの供給が可能になりました。
収穫してからすぐに劣化してしまうアサイーは、
それまでは現地でのみ食べられていましたが、
彼らが工業化に成功したことで、
アサイーは世界的に食べられるようになったのです。
そして、2000年代にはついに
日本でも食べられるようになり、
美容と健康に欠かせない
スーパーフードの代表的存在として
認知されるようになりました。
ハワイやセレブなど、
日本とは関係のない
イメージのあるアサイーですが、
国際的な存在になったその裏には
知られざるブラジルの日本人移民の努力
がありました。
そうした日本人移民の功績を讃えるために、
第一回移民船がブラジルの町・ベレンに到着した
1929年9月16日を記念して
「アサイーの日」は制定されました。
そんな歴史を誇らしく感じつつ、
今日も健康と美容を支えてくれる
アサイーと生産者の方を思って
「いただきます!」がこぼれます。
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アンドエシック
「アサイー×お米の乳酸菌パウダー」は、
トメアスで生産された
高品質のアサイーを使用しています。
収穫してからすぐに、
トメアスの日系工場で搾汁・冷凍をするので、
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参考文献
① https://www.frutafruta.com/agroforestry/tomeacu.html「フルッタフルッタ株式会社」
② https://www.ndl.go.jp/brasil/column/agro.html「ブラジル移民の100年」
③ https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50018890Q9A920C1000000/「日本経済新聞」
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